旧登米高等尋常小学校
Posted on : 2024.04.14

2023年9月17日(日)、登米町観光の道すがら
「旧登米高等尋常小学校校舎」を訪れました。

住所は、宮城県登米市登米町寺池桜小路6

「みやぎ明治村」の一角にあります
※「みやぎ明治村については「投稿No375.<https://morisen.net/?p=17061>」にて詳しくご紹介しております。

「旧登米高等尋常小学校校舎」・・・別名「教育資料館」

国の重要文化財です。
1888年(明治21年)に建築された旧登米高等尋常小学校。当時の洋風学校建築を代表する建物です。
それを保存修理し「教育資料館」というカタチで運営されています。
明治の洋風学校を代表する建築物として昭和56年(1981年)には国重要文化財に指定されました。

・純木造の2階建てで,正面に向かってコの字型に造られている、明治時代の名残りを感じるノスタルジックな校舎。
・教室には明治時代や大正時代の再現教室や、明治以後の教育史、教科書、給食の歴史などが展示されている
・昔の懐かしさを覚えている年配の方はもとより、当時の学校の様子を知るはずもない現代っ子なども含め、幅広い世代が楽しむことができる観光施設。

Wikipediaより引用

『旧登米高等尋常(じんじょう)小学校校舎は、宮城県登米市(旧登米町)にある歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。
『1888年に建てられたコの字形をした二階建ての木造建築で、コの字の内側に吹き抜けの片廊下があり、正面玄関上がバルコニーとなっている。
下見板張りの外壁に寄棟造の屋根を瓦で葺き、1870年代の擬洋風建築とは異なる和洋折衷で、当時の洋風学校建築の変遷を知ることができる建物である。
1980年代の半ば頃、地元の登米中学校建て替えの際に仮の校舎として使用されていた時期があった。
1989年から教育資料館として開放され、建物の中は当時の学校を再現した教室や、戦前の教育に関する資料を展示している。また映画のロケ地としても利用されている。
後身の登米市立登米小学校校舎(鉄筋コンクリート造、4階建、陸屋根)も地続きにある。
周囲には警察資料館、蔵の資料館、水沢県庁記念館など明治期の建造物が多く現存しており、一帯は「みやぎの明治村」とも呼ばれている。

 

詳しくはこちらのコンテンツを参照ください。
※↓登米市の発信記事
<https://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/>

 

 

↓裏口から見るとこんな光景。

駐車場があります。

 

↓正面入り口

なんでも・・・「屋外に突き出た廊下が明治時代の風情を感じさせる建築様式」・・・なんだとか👀💡
柳の木が「時代」を感じますねぇ。

 

 

建物全体のシンボル的存在が、2階バルコニーです。
↓校舎全体の中心に位置しており、教室全体を見渡す役割を担っていたとのこと。

1880年代当時、この校舎は日本で最初にヨーロッパに渡って洋風建築を学んだ大工と言われている山添喜三郎という偉い方が設計監督を担当し、使用する瓦や木材の厳しい測定や検査の元に建設された、とのこと(まわりが根をあげるくらい、相当シビアなチェックだったようで、伝説になっています)

宮城県は言わずもがな・・・地震の多い土地です。太古の昔から地震の甚大なる被害を受けてきました。
考えても見れば、こちらの建物は、宮城県沖地震や東日本大震災などの大地震・・・・他にも数々の風水害の影響も受けず、現在も当時の状態そのままで保存されているんです
今から100年以上前にこちらに活用された建築技術がとても精密だったことを実感します。

 

「ようこそ みやぎの明治村 とよま町へ」

このPRメッセージ、この日登米に着いてから、至るところで見ました(*’▽’)。

 

入場料は、右写真のとおり


左写真。
みやぎの明治村(教育資料館・警察資料館・水沢県庁記念館・登米懐古館・伝統芸能伝承館・高倉勝子美術館)の6つの施設を見学できるお得な「共通券」もあります
前回のブログ投稿でもちらっとご紹介しましたが、「めいじ村」は、魅力的な施設があちことに点在しています。
時間があればこちらを購入した方が断然・コスパが良さそうですね(`・ω・´)b。

 

 

 

入館料を支払い校舎の中に入ります。

 

 

↓生徒さん達が登・下校の際に必ず通る出入り口。

こちらは当時、「昇降口」と呼ばれており、間取りのカタチから「六方」とも呼ばれていたんだとか。

1888年の開校以来、いったいどれほどの少年少女達が、この校舎から巣立っていったことでしょう・・・。
校舎のいたるところから、ふるさとの郷愁やぬくもりが感じ取れます。

廊下は開放された「片廊下式」という形式らしい。吹抜けになっていて解放感がありますね。そして、廊下の外側に手すりがついていますが、これが明治時代の校舎の特徴らしい👀💡。

 

この一階廊下が、先ほどの「六方」~2階の廊下へとつながっています。

↑右写真は、館内のご案内

 

 

↓季節によっては「ハイカラさん着付け体験」があります。明治時代のコスプレですね。

西洋文化の影響を受けたレトロでお洒落な建築物の前で、着物姿で写真を撮れば、一生の記念になるはず。

 

 

******さてさて、ここからはいろいろな展示物をご紹介します。******

※僕はあまりウンチクも語れないので、写真の絵でいろいろ感じ取って頂ければと。

 

 

 

↓登米の歴史やレトロな施設などがいろいろ紹介されています。

 

 

↓とても古いオーディオ機器の数々。

(余談ですが、僕は、中学生のころまで「レコード」を買ってました(^^ゞ。たしかCDデビューしたのは中学3年の時です。当時はまだ「CDショップ」ではなく「レコードショップ」と呼ばれてました。)

詳しいことはもちろんわかりせんが、見ていてとても楽しいです。
きっと、マニアの方々にはたまらない代物ばかりなんでしょうね。

 

 

↓あ!(さきほどお茶したばかりの)「春蘭亭」を発見👀💡

※「春蘭亭」については、「投稿No374.<https://morisen.net/?p=17028>」にて詳しくご紹介しております。

 

故郷への郷愁・・・

 

 

トイレはさすがに水洗にカスタマイズされていました(^^ゞ。

 

 

 

明治以降の教育資料や教科書がずらりと展示されています。

時代の移り変わりを学ぶことができます。

 

↓教科書の絵がとてもユニーク!

↑はとぽっぽだ・・・

 

 

戦後のこども

戦時下のこども

教科書の内容などからいろいろな時代背景を連想することができ、遠い時代のこども達に思いを馳せます・・・。

 

 

 

2階に登ります。

 

 

家庭科教室なのかな? 歴史を感じさせる「足踏み式のミシン」が沢山ありました。

畳敷きのとても広い教室でした。

 

 

↓可愛いなぁ♪

 

 

再現教室。

明治時代の教室の様子が再現されています。

木製100%の机と椅子(僕の時代は、木+(たぶん)アルミ+鉄でした)

 

 

当時の子供たちの姿が目に浮かびそうです。

 

 

 

おっ!?
↓どうやらお隣には「低学年向けの教室」も再現されていました。

机も椅子も小さいです。

 

 

↓校長室もありました(笑)。

 

登米伊達家についてもいろいろ資料が展示されていました。

↓皇室の方々が来訪された時の写真が沢山飾られていました。

 

 

 

 

もうこうなってくると「学校」は関係ないですね(笑)

当時のレトロな「バス停留所」まで展示されていました。

とってもエモい光景です。

登米の電鉄についてもいろいろな展示物

時間が経つのも忘れて、ずっと見ていられます(笑)。

 

学校の表札と、巨大な校章

 

 

 

 

2階の展示教室では、当時、世界的に流行ったと伝わる「スペイン風邪」についての情報がいろいろ展示されていました。

僕は(お恥ずかしい話)これまでの人生、「スペイン風邪」については、そういう単語を知っている程度でした💦。

風刺画の数々

レトロな絵ですが、内容は我々がこの数年経験したような「コロナ禍」と重なる部分が多々あります。

よくこんなに膨大な資料や風刺画現存したよな~って驚きました

そして、100年もの時代を経たのに、まるで当時の方々と想いを共感できたような気がします。

 

 

だいぶお腹いっぱいになってきました(笑)。

 

 

↓2階の廊下から校舎を眺めます

明治時代の香りがするレトロで西洋風な景観ですねぇ。
とても解放感もあるし、風がとても心地良かったです!

 

 

↓2階の窓からすぐ裏にある現在の登米小学校が見える

↑これ見てなにか感じません・??

何とも言えない「うねり」「ゆらぎ」がありますよね?

これは、「表面にうねりがある大正ガラス(という当時のガラス)」の特質らしい。
その「大正ガラス」が今のそのままはめこまれた窓なので、こんな時空がゆらいだようなエモい景色が見えるらしい(゜o゜)!

↓ちなみに、窓を介さず普通に見るとこのような景色です

その時代独自のガラスの表情・・・・伝統的な工程を垣間見れた瞬間でした。勉強になりました。

 

 

 

 

*****以降はたしか1階に再度降りてから撮った写真です。*******

 

↓学校給食の歴史についていろいろ学べます。

(残念ながら、僕の時代はこの年表にはまだ載っていませんでした。ほんのちょっぴり未来でした(^^ゞ)

 

食器の形状にも歴史がいろいろあるんですね👀💡

くじらの竜田揚げは、僕が小学生の頃は給食ででてました(アレ・・・硬かったなぁ(^^ゞ。たしか中学の給食にはもう、存在しなかった記憶がある)

冷凍ミカンが懐かしすぎます(*’▽’)(たぶん20年以上、記憶から忘却されてました)

 

 

その他、テレビとか・・・あとは何だろ?

測りみたい物体。そして「レジェンド」的ビジュアルの初期型の電話機。

 

 

↓左は、西川オルガン。とてつもなく高価なシロモノなんでしょうね。

↑右のは昭和のオルガンで自由に弾いて良いと書かれてました。

(あまり詳しくないですけど、「足踏み式オルガン」というのが昔、音楽室にあったような記憶がある)

 

 

最後に・・・「半鐘(はんしょう)

当時の「チャイム」だったとのこと。

大正5年から昭和14年まで授業の始業・終業に慣らされていたようです。

 

 

 

********写真は以上になります**********

 

 

 

今回、はじめて「旧登米高等尋常小学校校舎」を訪れましたが、「温故知新が凝縮された教育資料館」でした。時間が経つのも忘れて、無我夢中で見学しました。

ありとあらゆる展示物や景色が写真映える資料館です。(写真撮影自由なのも嬉しいです(*^^)v)
写真が好きな方々には絶対に刺さる観光名所だと思いますよ(`・ω・´)b。
(僕は別に写真好きじゃないですけど、気がつけば150枚くらい撮ってました(‘◇’)ゞ。)

 

皆さんも、明治時代・大正時代にタイムリープしてみませんか?