【杜仙・食べ歩き班_No.11】(コラム)仙台っ子
Posted on : 2018.05.16

※こちらのお店(仙台っ子国分町本店さん)は、残念ながら現在閉店しておりますm(__)m
 (2020年8月頭に国分町店を閉店し、新たに仙台駅東口店がオープンしました。噂では、
  国分町での営業が厳しくなった模様。コロナの影響がやはり大きいようです。
  この国分町本店さんは、本投稿で記載した通り個人的にとても思い出がつまった
  お店さんだったので閉店はとてもショックでした)
先週、2018/5/9(水)夜、「仙台っ子(本店)」さんに3週間ぶりの訪店!完全に「ルーチンワーク」いや、「生活習慣」です。

やはり一度はブログにアップしておかないと・・・・。自分の中では「何をいまさら、仙台っ子」です。私の血液は、仙台っ子でできてます(たぶん(笑))。

語ると長くなります・・・。

初訪は、1996年の秋。たぶん、「オープン早々」だったと思います。当時、学生だった私は国分町の”飲食店”で汗水たらしてバイトしてました。お店の”賄い”として、自店の賄いの代わりに、たまに千円札を渡されるようになり、近くの飲食店で食べるようになりました。そんな中、ちょうどオープン早々の仙台っ子さんにはまるようになりました。(仙台っ子~天一こむらさき~支那そば家~北天龍を、ローテしてた記憶があります)

通いはじめてすぐに、(偶然!)仙台っ子さんの「経営筋に近い方(たしか御親類)」が自分の店の常連さんになり、何度か色んなお話しを聞きました。(たしか1997年の年明け頃~だと思います。就職を控えた私に対し、社交辞令で?「そんな会社じゃなくて、うちに就職しませんか?(笑)」とまで仰ってくれました。)

その後、マチナカに就職してからも、1997年~2000年頃までは、「週2~3回ペース(=月10回くらい)」で通ってました!(天一と仙台っ子で、毎日のようにヘビーローテしてました!。我ながら”病的”だったと思います(苦笑))20代の頃は、関東とかから週末に出張から帰ってくると、帰宅する前に、まずは仙台っ子か天一に足が向いた気がします。2000年以降はさすがに「行く頻度」は減りましたね。「飲んだ〆ラー」として行く程度になりました。それでも・・・「年に10回近く」は通ってたと思います。(とてもとても・・・時代によって色んな思い出があります。会社の飲み会終わったあとや合コンの反省会や、国分町の悪友とハシゴしたり・・・・Etc)。2000年代(震災前頃まで)「国分町で飲んだあとの〆ラー」は、「仙台っ子本店or天一or萬寿山(上海ラーメン)or支那そば家」の4択でした。この4件は、「かつて仙台を席巻したラーメン国技場」が存在した時代も、ブレルことなく生き続けて今に至ります。(ただし、天一こむらさきさんは、”あの日・3/11”が最後でした(支那そば家さんは、3/11で一旦取り壊され、数年後に復活しました。)

そんな仙台っ子本店さん、今から5年前(2013年7月)に、新装開店して懐かしい店内がすっかり様変わりしたのですが、その頃から再び「マイブーム」になり、飲んだ〆ではなく、大昔のように”食事”として食べに行くようになりました。昔からどんどん味も進化し、「家系に近づいている」感じですかね。でも、ビジュアルは、ほぼほぼ変化は無しです!(この点においても素敵だと思ってます)
↓さてさて・・・今年も既に・・・今回で今年5回目の訪店です。いつも通り御対面!

殆どが「本店さん」ですが、累計・・・・これまで約22年間で(もちろん正確に数えるのは困難ですが、ザックリ計算すると)「400回程度」は訪店している計算です。(本店さん以外は、トータルで20~30回程度しか行ってないと思います。仙台っ子さんは社長さん?の方針で「基本レシピは遵守しつつ、あとはお店ごとに方針を任せる」という運営をされているとよく噂を耳にするので、お店によって、全く異なる味わいとなります。店により、自家製麺とか、太麺細麺を選べる店もありますね。ビジュアルはほぼ一緒。)
それと、私のようなヘビーユーザだったら誰でも御存じかと思いますが、仙台っ子さんは、良くも悪くも「スープのブレ」もありますし、時代と共に、微妙にスープ加減や麺の茹で加減も時代時代で変化があります(単純に、スタッフさんが代わっただけでも、味とか変わった気がします)正直私も「疎遠になった時代(=一時期、半年1回ペース)」もありましたが今となってみると、そんな変化も楽しみの一つだったりしますね!

↑ライスはこのように「スープでヒタヒタになったノリを巻いて」食べます。(この食べ方は、さすがに家系ラーメンを認識した後に食べ方を知りました。)

1996年当時、仙台にも「家系」なんて単語が根付いていませんでしたし、私も「家系」なんて単語知ったのは、それから10年も経った後です。当初は純粋に・・・「醤油豚骨でコッテリした、癖になる、ご飯に合うラーメン♪」という感じで中毒になりました。当時の仙台ラーメン事情としては、「家系がどうこう」じゃなくて、「こってりしたラーメン」を食べるなら「天一(こむらさき)」or「味一品(バイパス泉キャンパス近く)」Or「仙台っ子」というルーティーンがありました。(たぶん、同世代の方だったら懐かしく思うかたもいらしゃるはず)3軒の中では、「仙台っ子」が一番、ライトだったと思います(それでも、当時は今よりももっと”ドロリ感”がありました。)
(天一さんも1993年から通い続けたヘビーユーザーですが、当時25~28年前、バイトしてた国分町飲食店の大常連様が、こむらさきのご親戚筋?の方だったので、何度か「天一宣伝トラック」の助手席に乗せてもらったりしたなぁ(笑)。あの当時、あのド派手な「天一宣伝トラック」は、夜の町の風物詩でした。天一のお話しはいずれまた・・・)

やがて「家系ラーメン」という単語も仙台に浸透し、その時はじめて「あっ?横浜の家系というルーツがあったのか(笑)」を知りました。仙台にも「2000年代後半」から、色んな本格的な「家系インスパイア(中には吉村家直系のお店さんまでも)」入ってきましたが、私の中では、仙台っ子さんは、家系とはまた別枠の”ソウルフード”としての存在感&安心感があります。2年くらい前から私のオーダーは「仙台っ子こってり、味濃いめ、油多め」がマストです。それともちろん「無料ライス」もマストアイテム!
※最近は食べる頻度も減りましたが、長年「ラーメン+餃子+ライスの仙台っ子セット」をいつも食べてましたね。開店当初は「ランチセット」ということでお昼時にしか提供されてなかったのですが、たしか2000年代半ばごろから終日提供されるように変わりました。(その仙台っ子セット、今は¥820円しますが、当初は¥780円だったので凄まじいコスパでした!このコスパが、仙台で今の繁栄を築かれた要素だったと分析してます。)

とても長くなりました(笑)。

累計400杯以上食べてもまったく飽きません(笑)。

ずっと仙台で美味しいラーメンを提供してください!
今日もご馳走さまでした!